筆先に託す

睦月廿六日。
世界情勢では不安を煽るニュースばかり。子供達はテレビの生々しい映像により恐怖心を強めています。数日前のオリンピックの平和的な映像との落差は何でしょう。この矛盾を子供はどう解釈したら良いのでしょう。
そんな中、今日は息子の友達が数人我が家へ遊びに来ました。しばらくコロナの影響で脅かされていたところから少し和らいだ時期でもあり、久々に集まれた楽しそうな様子にこちらまで嬉しくなりました。ゲームしたり、外で遊んだり、ご飯を食べたり…
本来であれば何てことない子どもの日常ですが、今日のような機会はコロナや戦争という非常事態によって、当たり前の日常の有り難さをより強く感じるものとなったのです。
そうかといって、私としての答えは見出だせずにいるのですが…

話は変わりますが、先日金継ぎ教室で金を蒔きました。
何事もなかったかのように金の模様だけを施してあるように感じるその土台づくりは、実に繊細でありながら頑丈でこの工程を疎かにすると金を蒔いたとて明らかに金の部分が際立ってしまいます。
金を蒔く前に漆を塗る工程がありますが、極細の筆先に全神経を集中させて力を抜き、筆が進みたい方向に任せます(って書くと出来る人みたいだけど実は金を蒔くの初めてです)

おお〜、これが無為ということなんじゃないかなと思いながら力を抜くことに集中すると割と迷わずに筆が進んでくれます。

事を上手くやろう、早くやろうと意識が働くと却ってそれが仇になったりします。
たまには上手くやろうという意識を外して、力みを拔いて、身体の無意識に従ってみるのも大切かもしれません。
それをヨガを通じて練習していきたいなぁと思ってることでもあります。

冒頭の答えにはうまくつながりませんが、目の前のことを1工程、1工程きっちり行っていくことが今私にできる最善の方法な気がしています。

最近は文章がダラダラと長くなっていけませんね…

先生に、『みどりちゃん、呼吸が丁寧過ぎ。今吸えるボリューム以上のものを吸おう吸おうとして力が入ってるよ。丁寧に尽くし過ぎる彼女って重たくなるでしょう。もっとサラッとでいいんだよ』って指摘を受けました(笑)
確かに〜

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